今回のブログのタイトルが“ひらがな”なのは、私の作詞家としての『出発』がまだ漢字が書けない幼稚園の頃だから。
私が、作詞家になりたいと思ったのは10才のときです。
10才の頃から紙に歌詞を書き始めて、今も書いたものをちゃんと残してあります。
それより前に、初めて作詞・作曲したのは、幼稚園のとき。
タイトルは、「ゴーゴースペシャル」
幼稚園生だから、ゴーの意味もスペシャルの意味もわかっていない。
お兄ちゃんが、「訳すと“行け行け特別”だよ~」とお腹をかかえながら意味を教えてくれました。
バカにするというよりは、発想が意味不明で最高だよ!というようなテンションで意味を教えてくれたお兄ちゃんは今でもいい人だなと思い返します。
私は、「ゴーゴースペシャル」を皮切りに、たくさん持ち歌を増やしていきました。
暇があれば、いつも歌っていました。
私が自分で作った「ゴーゴースペシャル」を歌うと
お兄ちゃんも作詞作曲をして「むかしのおじさん」という持ち歌を披露する。
今度はお父さんも作詞作曲して「黄色いヴィヴィオ」という持ち歌を披露する。
これが高瀬家のお風呂ルーティーンでした。
今でも「ゴーゴースペシャル」も「むかしのおじさん」も「黄色いヴィヴィオ」もちゃんと覚えていて歌うことができます。
これが、きっと私の作詞家として“しゅっぱつ”。
ただ、今回ブログを書くにあたり、衝撃的な事実を知りました。
私は、幼稚園の頃からたった今まで“ヴィヴィオ”という車を“ビビオ”だと思い続けていました。
幼稚園生には、“ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ”の概念がなかったです。
ヴィヴィオには、黄色が存在しないけど、黄色いヴィヴィオを歌うことに意味があるんだというお父さんの教えまでちゃんと覚えていたのに…
お父さんに、“ヴィヴィオ”って“ビビオ”じゃなくて“ヴィヴィオ”だったんだねと話してみたいと思います。