クリエイターインタビュー記事の投稿です。
聞き手、執筆はディレクターのタノウエがお届けいたします。
第6回目となる今回は、作詞作曲、ボーカリスト島みやえい子の記事です。
——まずは島みやさんの簡単なプロフィールから教えてください。
生まれは北海道の千歳市です。
高校生の頃に苫小牧市に引っ越したのち、現在は札幌市を拠点に活動しています。
一時期東京に活動拠点を移すことも考えたんですけど、今のスタイルが自分にも合っていたのでこの形に落ち着きました。
——音楽活動はどのようなきっかけでスタートしたのでしょうか?
小さいときから曲を作って歌う、、、というのが好きで。
自宅から学校までの30分で作曲をして歌う、ということを日常的にやっていました。
ピアノも習っていたし、友達も少なかったこともあり(笑)、日記をつけるような感覚で常に音楽に触れていたように思います。
——そこから今の活動に至るまでは、どのような道のりだったのでしょうか?
ちょうど高校生の頃、シンガーソングライターの大会が盛んに行われていまして。自分も参加してみようかな、と思ったのがひとつのきっかけになりました。
いくつかの大会に参加するなかで、決勝まで進んだこともあったりして、何人かの目に止まったようで。
そこから北海道のCMソングなどの仕事をいただく機会が少しずつ増えていきました。
ブースに入って歌を収録する、、、というお仕事自体は10年くらい続けていたのですが、舞台に立って歌い手になる!というよりは、求められるものを打ち返していくという活動のほうが圧倒的に多かったですし、私自身もそういった活動といいますか、お仕事がとても楽しかったです。
——島みやさんといえば「ひぐらしのなく頃に」を始め、アニメやゲームの楽曲を多く歌唱していることで有名ですよね。
20年ほど前になりますが、カラオケの先生のお仕事をしていた頃、人に教えるためには我流だけだとダメだな、、、と思ったことをきっかけに、人生で初めてボイストレーニングに通い始めたんです。
ある時そこの先生に、「ゲーム主題歌のオーディションがあるけど受けてみない?」とお誘いがありまして。
そこから縁があって「雪女」というゲームの主題歌を担当させていただくことになりました。
ここから、まさに人生が180度変わりましたね。
——人生の転機となる出来事だったのですね。
札幌のクリエイター集団である「I’ve」との出会いのきっかけにもなり、その後ノベルゲームブームに乗るかたちで多くの楽曲の歌唱を担当させていただきました。
——どんどん音楽活動を広げていくなかで、苦労されたことはありますか?
元々アニメ・ゲーム界隈への繫がりや知識も無かったので、新たな世界へ飛び込むにあたり、苦労したことも多くありました。
2006年にメジャーデビューをさせていただいたのですが、やはりそこで求められる役割みたいなものはあって、自分のやりたかったことと違うかも、と思う場面も勿論あったりして。
そのギャップみたいなものを感じることもありました。
でも私のなかで大切にしているのは「なんでも面白がる」ということでして。
デビューしたばかりの新人さんって、意外と自分の事を分かっていないことも多いから、周りの人の意見もしっかり大事にすることで、結果的に自分でも気づかなかったような良い部分を引き出してもらえることも多いです。
自分はこういうのが好き、こうしたい、、、というのはもちろんありますが、それと違った提案だったとしても「それも面白そう!」と一旦飲み込んでみるのが大切なんじゃないかなと思っています。
——歌の活動のほか、ハートカンパニーに所属してからは作家としても活動の幅を広げていらっしゃいますよね。
CMソングを作っていた期間がありましたので、作家活動自体はそんなに抵抗なくスタートできました。
編曲は他の方にお任せするスタイルがほぼすべてで、主に作詞・作曲を担当しています。
——今まで制作した楽曲で、なにか思い出深いものはありますか?
「バジャのスタジオ〜バジャのみた海〜」のテーマソングである「てとてとて」は、自分のなかで対極のような楽曲だったのですが、作っていてとても楽しい曲でしたね。
老若男女に親しみやすい楽曲で、という依頼でしたので、同じ言葉を繰り返し用いることによって分かりやすく、キャッチーな楽曲になるよう心がけました。
——楽曲を作る上で意識していることはありますか?
自分が楽曲を作る上でどうしても哀愁感みたいなものが滲み出てしまうのですが(笑)、それが自分の特徴なのかなと思います。
また作詞を手がける場合は、自分のパーソナルとは完全に切り離して制作しています。
ハートカンパニーに所属してから手がけさせていただいたものは柔らかい雰囲気のものが多いのですが、今後カッコいい曲などどんどん楽曲の幅を広げていきたいです!
——ありがとうございました。