5分ブログです。
映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観てきました。たくさんの映画音楽、TV音楽を手がけた作曲家がエンニオ・モリコーネです。つまり劇伴作家。
500作品以上の映画とTV作品を手がけ、アカデミー賞も受賞した巨匠と言われる方です。
この映画はモリコーネに5年以上の密着取材をしたドキュメンタリー映画です。
かつて映画音楽の地位は低かった。今ではもうそんなことはない。そうなるにはたくさんの映画音楽家の功績があり、モリコーネの功績は特に大きかったとこの映画で語られています。
僕もまだまだ若輩ながら、劇伴制作にたくさん携わってきました。自分の中でプロデュースのスタイルが出来上がりつつありますが、何が正解かは今でも考え続ける日々です。
この映画でモリコーネのたくさんの言葉を聞きました。劇伴の役割を改めて認識することができました。劇伴作家という存在の偉大さと重要さも改めて認識しました。
監督や制作側からの「こうして欲しい」という要求と、モリコーネの脳内に生まれる音楽が違っている時のこと。モリコーネは作品に寄り添う。徹底的に寄り添う。時に監督以上にその作品の本質をつかむ。監督は抵抗する。しかしモリコーネは貫く。結果的に監督はモリコーネに大きな感謝と賛辞を贈る。クリエイター同士の戦いが、偉大なモリコーネの歴史にも多々あったのだ。
劇伴作家は音楽に詳しくなければならないけれど、それ以上に人の心を誰よりも理解できる必要があると。劇伴作家は心理学者でもなければならない。そのような証言がこの映画内にありました。
劇伴作家は心理学者たれ。これに僕はすごく反応しました。
その映画が何を言わんとしているのか、そのシーンが何を言わんとしているのか。劇伴作家はそれを誰よりも把握する必要がある。
僕はふと思いました。ああ、劇伴ってのは仏像や彫刻を作る仕事と似ているのかもしれないと。
夏目漱石の小説「夢十夜」で仏師(仏像を彫る人)の運慶のことが語られています。上手に仏像を作るもんだなぁという発言に対して運慶は「木の中に埋まっているものを掘り出すだけだ」と言う。
イタリアの芸術家ミケランジェロも同じようなことを言っていたそうです。「大理石の塊の中にはあらかじめ像が入っていて、彫刻家の仕事はそれを発見すること」と。
運慶もミケランジェロも「そこにあるものをただ掘り出すだけ」という共通見解を持っていたわけです。
劇伴という仕事もなんとなくそれに似ているのかもしれない。映画という塊の中にすでにある音楽を掘り出す仕事。そう言える気がする。
じゃあいわゆる音楽プロデューサーとは何をしたら良いのだろう。音楽プロデューサーにも色々なスタイルがあるけれど、僕自身は「環境を作る」というスタイルのプロデューサーだと思うので、やっぱり「環境」を作りたい。
映画に内包されている音楽を掘り起こす。それがやりやすくなる環境を作りたい。一緒に掘りたいし、掘るための時間やお金や道具を用意したい。掘る方法がまだ分からない若者にはヒントや気づきを与えたい。もう充分掘る方法を知っているベテランには刺激と興奮を提供したい。
「モリコーネ 映画が恋した音楽家」という映画は、作曲家が観ればその視点で多いに刺激を受けるだろうし、プロデューサーやディレクターなどの作曲家を支える立場の人が観ればその視点で多いに学びがあると思う。そして日々の仕事の反省と改善につながると思う。
これは音楽関係者向けの映画ではないのです。モリコーネという人の音楽と映画への愛に溢れています。モリコーネの人生が報われていく成功譚でもあると思います。映画の後半、モリコーネの功績が報われる瞬間が描かれます。僕はそこで涙が出ました。
観ておいて良かった。
手元に置いておきたい。教科書だ、この映画は。
(追伸)
いずれBlu-rayになるだろうか。様々な映画のシーンが使われている。著名人もたくさんインタビューを受けている。権利処理がとても複雑そうだ。もしかしたら映画館でしか観られないという事情もあるのだろうか。色々気になるが、ぜひBlu-rayになって欲しい。こんな教科書は他にない。
斎藤 滋 プロフィール
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参考
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