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車輪の再発明という話

投稿者:斎藤滋
投稿日時:2023年3月24日

5分ブログです。

 

車輪の再発明という言葉があります。広く受け入れられて確立されている技術や快活方法を再び一から作ること。という意味合いです。

 

先人が苦労して見いだした技術やノウハウを使わずに、また1から始めたりすると「それは車輪の再発明だ」と称したりします。

 
 

例えば、、

荷物を運びたいという目的を達成するために、台車を使えば5分で済む。

でも台車の発明から着手してしまって、結果的に荷物を運ぶという目的の達成に膨大な時間がかかってしまう、というようなお話。

 
 

車輪の再発明をする時のケースは2つあるかなと思います。

 

1)車輪を知ってるけど敢えて1から車輪を作りに行く場合

2)車輪の存在を知らなかったがゆえに1から車輪を作ってしまう場合。

 

前者は「もっと良い車輪が作れるはずだ」という気持ちから。後者は単純に調査不足から。

 
 

1)のもっと良い車輪が作れるはずだ。という発想は確かにあります。

 

先人のノウハウは先人の時代に作られたものだから、今の時代に合わせた車輪を作るべし。という考えからです。

その場合は、先人の作った車輪をどう発展させるかというのが恐らく正解。やっぱり1から再発明すると時間が無駄になります。

もう少しシンプルに書くと、使えるものがあるなら使う、乗っかれるものがあるなら乗っかる。ということかもしれません。

 
 

日常でも色々あるはず。先輩が作ったエクセルのフォーマットを使わせてもらうとか。1から表を作るより先輩が使っていたエクセルを今回用に改訂すれば早い。みたいな話、きっとたくさんあります。

 
 
 

1から作ることで得られる体験や経験も重要だ、という意見もあり、それも時によっては正解だったりもします。かわいい子には旅をさせよ、獅子は我が子を千尋の谷に落とす的な発想だと思います。

 

親側はその発想でも良いと思います。

子供側は、工夫をすると良いさそうです。

 

旅をする時、谷を這い上がる時に、先人の知恵を上手く使うのが良いかなと思います。徒歩ではなくて電車を使おうとか、素手で壁をよじ登るのではなくて垂れているロープを使おうとか。

 
 

厳しい修行=苦労する的な発想になりますが、考える力を付ける、というのが真の修行かなと思います。

 
 

車輪の再発明はしちゃダメ。ではなくて、どうバージョンアップさせるか、というのがポイントなのかなと思います。

 

 

斎藤 滋 プロフィール
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