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仕事をしている意味

投稿者:斎藤滋
投稿日時:2020年12月5日

こんにちは。斎藤です。

2020年も12月になりました。駆け抜けたような1年でした。まだあと1ヶ月ありますが、一瞬で12月31日を迎えると思います。

 

今年は新型コロナウイルス感染症で色々な変化がありました。

大変なことだらけでしたね。今もまだ大変だらけです。

 

今まで無自覚だったけれど、改めて自覚出来たことがありました。

仕事をしている意味です。

生活するお金を稼ぐため、というのは当然なのですが、精神的なところでの意味を自覚しなおすことが出来ました。

 
 

コミュニケーションを求めて仕事をしている。

 
 

これなんだなということが良く分かりました。

音楽が好き、アニメが好き、というのも理由ですが、それは仕事の職種やジャンルを選ぶための動機。

 

「仕事」という行為に対する自分の欲求とはなんなのか、ということが良く分かったのです。

人との交流が欲しくて仕事しているということだなと思いました。

 

この思考には、おそらく僕の大学時代の経験が多いに関与しています。

 
 

大学生になって最初に入った組織(サークルとか部活という意味)は、柔道部でした。柔道部。体育会の本気の部活です。当時の僕はおそらく中二病的なところがあって、でも大学生だから中二病ではなくて大一病なのかもですが、いわゆる一般的な華やかなサークルとは距離を取ることがカッコイイのである。と思っていました。今思えば、サークルというものを経験せずに決めつけるその考え方が格好悪いのですが。

 

それにしてもなぜ柔道部かというと、高校生の時に柔道部だったからです。柔道が相当好きで、高校卒業後も続けたいなと思っていた、という理由もあります。漫画の影響も凄く受けていました。小林まことさんの「柔道部物語」。河合克敏さんの「帯をギュッとね!」。この2つに多大な影響を受けていて、柔道愛が深くてずっと続けたいと思ったのです。

 

柔道部に入部。人数は凄く少ないです。いわゆる昭和の体育会のムードの組織でした。入部して確か半年が経った頃に、練習中に受け身を取り損ねて背骨を痛めてしまいました。かなりの痛みだったので医者に診てもらうと、椎間板が損傷している、ということでした。直すタメには、柔道を辞めるか休止するかということになりました。日常生活は出来ますが、背骨が湾曲するような動きをする度に激痛が走ります。しっかり治しておかないと一生引きずることになりそうだと予感しました。柔道を休むか辞めるかという選択肢において、治ったしても練習中にまたこれが再発するようなことがあったら、、という再発の恐怖には勝てず、柔道部を辞めることにしました。

 

大学一年生の秋です。突如部活を離れてフリーな身になってしまいます。居場所というのはとても大事なもので、大学という大きな場所には所属しているけれど、部活やサークルという小規模の組織に入っていないというのは、なんとも居心地が悪いのです。居場所がない寂しさには耐えられません。

 

秋から入れるサークルは少ないです。春はあれだけ新人歓迎!と全サークルが募集するのですが、秋になるとその動きはぱったりです。秋からでも入れる組織、そして少しでも何か自分と縁がありそうな組織。それが英会話サークルでした。

 

英会話との縁。僕は父の影響で、英会話サークルという場所に身を置くことになります。父は英語が堪能で、これからの世の中は英語を話せる人が活躍出来るのだ、という強い考えを持っていました。そうやって父に育てられたので、英語の重要性は理解していたのです。

でも結局、僕は今も英語は全然使えないのですが(笑)

 

サークルには入りましたが、バイトも始めました。

モスバーガーのアルバイトです。かなりストイックに働きました。柔道部を辞めたばかりで居場所が無かった自分にとって労働環境は凄く居心地が良かったのです。労働するという明確な目的があるので、働いていればそこが居場所となるわけです。大学のキャンパスで友人らしい友人もなく一人でブラブラしているのはメンタル的に耐えられなかったのです。英会話サークルは後日、自分にとってとても素敵な居場所になっていくのですが、それに至るまでは少し時間がかかりました。

当時働いていたモスバーガー店舗は現存しないので写真はイメージです。

 

ストイックに働きまくることで、モスバーガーの店長、古株バイトスタッフからどんどん信頼されていきます。バイトにもランクがありました。割と早いタイミングで副店長的なランクまで上がったのです。そのモスバーガーの店は、アットホームな雰囲気で店長を中心としたチームの雰囲気が非常に良かったのです。

 

しかしながら、バイトで出世していけばしていくほど増えていく悩みがありました。大学生らしい経験をしてない。ということでした。

 

当時の僕が思っていた大学生らしい経験。

■サークルで他校との交流

■大学の友人とのダベりタイム

■合コン

■テニスしたりスキーしたり

■夏は仲間と海にドライブ

 

授業は真面目に出ていたので成績が不安ということは無かったのですが、大学以外の全ての時間をバイトに捧げていました。

 

本当にバイトばかりしてて良いのだろうか。

大学生なのにこれは変じゃないか。

他の人と比べて変じゃないか。

一般的な大学生と比べて異質なのではないか。

 

大学で授業を受けている時は、友人が居ないので孤独です。けれど周りは友人同士で授業を受けたり、休憩時間や昼食時間は仲間と食事したりしていて、とても楽しそうです。

これで良いのだろうかと悩み続けて、悩みすぎて胃腸を悪くしてしまうようになりました。メンタルが脆弱になっていたのがモロに肉体に悪影響を及ぼしていたわけです。

どんどん体調は悪くなっていき、薬を飲む機会も増えてしまいました。

バイトはやりがいがあるが、大学生としてはいかがなものか。

バイトばっかりしているからこういう悩みになるのではないか。バイトを辞めた方が良いのではないか。でも辞めたくは無い。でもバイトしていると大学生らしくないのかもしれない。

悩みが悩みを巻き起こし、メンタル的には相当弱ってしまっていました。

 
 

そこから抜け出せたのは、とある曲でした。

THE BLUE HEARTSの「ロクデナシ」という曲を聴く機会があり、そこの歌詞が胸に刺さりました。誰かに合わせる必要はない。自分を変える必要もない。ありのままで良い。というメッセージでした。

どんな医者も治せなかった難病がいきなり治るような。そういう突き刺さり方をしたのです。

他にもTHE BLUE HEARTSの歌は当時の僕を勇気づけてくれました。「人にやさしく」、「1000のバイオリン」などなど。全ての歌詞が分かりやすく、そして優しかった。

 

THE BLUE HEARTSを聞くようになってからの僕は、バイトばっかりしている自分を認めることが出来ました。吹っ切れたのです。大学で孤独だって別に良いじゃないかと開き直りました。みるみるうちに元気になり、胃腸も回復し、薬も飲まなくて良くなりました。こんなに顕著に人は元気になるのか、と驚いたのです。

元気になると友人も増えていきます。英会話サークルもバイトと並んで自分の居場所になっていきました。そうなるともう孤独ではありません。大学が楽しい場所になりました。

 

そういう体験があり、大学卒業後の進路を明確に決めていなかったのですが、音楽の仕事をする、という目標は出来ました。医者でも治せないようなことでも音楽が治せることもある。治す側に回りたいと思うようになったのでした。

そしてあれこれあって今に至る次第です。

 
 

ここでようやく冒頭の話に戻るのですが、長い前振りでした(^^;

 

仕事をしている意味。自分にとってそれはコミュニケーションを求めていること。居場所を求める。人との交流を求める。人との関わりの中で生きていないと気持ちが滅入ってしまう。

 

コロナ対策でリモートワークや自宅作業が増え、コンサートが中止になり、という時間が続いていくと、居場所を失っていくような感覚になります。

 

僕が仕事というものに求めるのはコミュニケーションだったんだな、ということが改めて理解できた1年間でした。そして居場所を求めて生きているんだなということも良く良く理解できました。居場所は、自分が必要とされている場所、という理解です。組織に属していても必要とされてなければ居場所とは言えないです。必要とされるには、努力してその組織にとって役立つ存在にならないといけません。努力する→必要とされる存在になる→居場所となる→居心地良くしたいからもっと努力する→もっと必要とされる・・・・という連鎖にしていきたい。

 

ここでいう組織は必ずしも仕事上のことだけでなくて、家庭や家族でも同じなんだろうと思います。

 

コロナ禍の中で、気がつけたことがあったのは、不幸中の幸いだったと思います。人との会話は尊い。ライブ現場の一体感は尊い。音楽作り、アニメ作りの現場で多くの人と共同作業をすることは尊い。たくさんのことに改めて気がつけました。

 
 

斎藤 滋 プロフィール
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