毎週公開しておりますクリエイターインタビュー記事。
聞き手、執筆はディレクターのタノウエがお届けいたします。
第5回目となる今回は、作曲家俊龍の記事です。
——まずは俊龍さんが音楽に触れたきっかけから教えてください。
埼玉県生まれで、幼稚園の頃からクラシックピアノをやっていました。
特に音楽一家というわけでもなかったのですが、小学6年生くらいまでは続けていたと思います。
今でもデモ曲のピアノ演奏などは自分で弾きますね。
——作家活動を始めたのはどんなきっかけだったのでしょうか?
元々レコード会社のディレクターやプロデューサーになりたくて、一度音楽関連の会社に就職したんです。
でも音楽業界といえど、どちらかというとガッツリ営業マンの仕事をしていまして。
社会勉強にはなったんですが、やっぱりもっと音楽に深く携わりたいという思いはずっとあったんです。
当時社会情勢的にも色々と考えさせられる出来事もあって、どうせなら自分が一番やりたい職業を死ぬまで全うしたいなと考えるようになりました。
レーベル会社で働くか作家として生きていくかかなり悩んだのですが、自分の周りに溢れている音楽を聴いていると「自分ならもっと良い曲を作れるじゃないか」という謎の自信が当時あって(笑)、最終的に作曲家として生きていくことに決めました。
とはいえ、実はそれまでまともに曲を作ったことがなくて。
昔クラシックピアノを習っていたとはいえ、やっぱりポップスは作り方や理論、考え方も全く違うので、楽曲制作を始めた頃は苦戦した覚えがあります。
色んな曲を耳コピしたり、着メロのバイトなんかもしていたので、少しずつ勉強していきました。
また当時作曲のスクールに通っていたのですが、そこで師匠の上田起士さんに出会い、音楽の三要素(リズム・メロディ・ハーモニー)だったり、クリエイターとしてのスピリッツ的な部分についてなど、沢山の大事なことを学ばせていただきました。
あとは湯浅順司との出会いも大きかったです。
彼は今、Sizuk Entertainmentでプロデュース業をしているのですが、仕事は違えど同じ業界で今も切磋琢磨している仲です。
——楽曲制作は普段はどのように進めているのでしょうか?
DAWはWindows版Cubaseを使用していて、ハードシンセとしてはYAMAHAのmotifとNord Stageをよく使用しています。
楽曲制作を行う中で一番大切にしているのは”高揚感”でしょうか。
オルゴールなど最小単位の音で聴いても良い曲になるように、メロとコードの関係をしっかり構築してから進めていくことが殆どです。音色選びから作ったことはほぼ無いですね。
楽曲制作を始めてから今に至るまでずっと、その信念は変わらないです。
メロディ運びやコード進行のなかに「ちょっと切ないけど明るさもある」や「どこか儚げな雰囲気」など色々なカラーがあって、長く作曲を続けていくなかで自分の中にしみ付いた感覚みたいなものがあるので、オーダーやアーティストの個性に合わせてバランスを調整していきながら進めていくことが多いです。
ちなみにメロディやコードは基本手弾きのリアルタイム録音で打ち込んでいくんですが、よくミスタッチをすることがあって。(笑)
それをクオンタイズしたら思いがけないリズムの面白いメロディが生まれちゃったりするので、そういった偶発的に出来たものを採用することも割とあります。
——今まで手がけてきた中で、特に思い出深い楽曲はありますか?
作家活動を始めた頃に採用されたこともありますし、弊社斎藤との出会いのきっかけにもなった茅原実里さんの「too late? not late…」はやはり思い出深いです。
当時から沢山茅原実里さん楽曲を手がけていた菊田大介くんと競っていた時代でもあるので、この曲を聴くと色々な思い出が蘇ってきますね。彼が手掛ける作品は常に気になります。
——ご自身の思う強みがあれば、教えてください。
今でもコンペにかなり参加しますが、作家を始めた当時からずっと良い意味で背水の陣というかハングリー精神というか、毎回「絶対に良い曲を作ってやる!!」という、言うなれば執念じみた心意気で制作を行っているので、それが楽曲としての”強さ”みたいなものに繋がっているのかもしれません。
——ありがとうございました。