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斎藤滋の履歴書 Vol.2

投稿者:斎藤滋の履歴書
投稿日時:2022年10月21日

自分の歴史を自分で書きます。Vol.2です。時間に余裕がある朝が発生した時にしか書けないので不定期連載です。

 

前回はアメリカ生野菜事件を書きました。

 
 

5歳ころにアメリカから日本に戻ってきました。日本で幼稚園に入ります。幼稚園での想い出はほとんど記憶にありません。先生が優しかったという記憶はあります。自分の記憶としては大きなトラブルや珍事件は無いのです。もちろん子供なのでたぶん色々な出来事があったとは思うのですが、アメリカ生野菜事件のような出来事は記憶にないのでした。

 
 

さて小学生。記憶に残っているのは、小馬鹿にされていた状況を一変させたお腹ラリアット事件でしょうか。理由は覚えてないのですが、、小学生の1〜2年生くらいだったころに、同級生から凄く小馬鹿にされていました。いじめという程酷いモノだったのかというとそうではない気がしますが、精神的に相当な苦痛だった気がします。日々繰り返されていたんですね。

 

ある時、僕はそれに耐えきれなくなり、やめてくれという意思表示を身体全体でしました。腕をぶん回したんです。小馬鹿にしてくるってことを辞めて欲しくてたまらず、でも辞めてもらい方が分からず、もう腕をぶんぶん回すしかなかったのでしょう。そしたら相手の腹部に当たって、相手が泣いてしまった。

 

その一件以来、その相手から小馬鹿にされることは無くなりました。ピタリと無くなったのです。しばらく時は流れ、相手の子とも普通に同級生的な友人関係になり、平和が続きました。

 
 

それ以来、僕は暴力による支配に目覚めたのだ。。ということは全く無く、、自分の行為によって相手が泣くのってのはこちらもしんどい、ということを学びました。そのしんどさを味わう必要はないと考え、平和に日々を過ごす方が自分としてはハッピーだと感じるようになっていきます。

 
 

思えば肉体的なケンカというものはこのお腹ラリアット以来、一度もしていない気がします。自分の打撃が相手に与えるダメージの大きさを良く良く知り、そして怖くもなりました。相手へのダメージ、周囲に及ぼす影響(先生や親に迷惑もかける)。それを知ったのでした。

 

その一方で、小馬鹿行為は無くなった。肉体的な攻撃力は実際に行使するよりも抑止力として機能させた方が良いのだなと知るのです。

 
 

小学生後半は少林寺拳法、中学生は空手、高校と大学前半は柔道、と格闘技を習い続けるのですが、そこで得る技術は抑止力なのだと認識し続けていました。

 

この学びは社会に出て仕事をするようになってからも変わっていないように思います。社会に出てからの攻撃力は肉体的ものではなくなっていきますが、得た攻撃力は抑止力とする、という考え方は変わっていないように思います。

 

それは社会に出てから僕に影響を与えてくれた色々な先輩たちがみんな「実るほど頭を垂れる稲穂かな」的なアクションをしていたからというのもあります。その方が結果的に平和でハッピーで、諸先輩方は仕事や人間関係も上手く行っていました。攻撃力を実際に行使すると、一時は影響力が出るのですが、しばらくすると衰退もする。そういう事例もたくさん見ました。

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」をしていた先輩たちはすべからず凄い攻撃力を持っていました。でもそれを行使しません。「凄い攻撃力を持っている」という事実だけで充分なのです。

 

攻撃力と書くとなんだか物騒ですが、「実力」と置き換えて読み解いてもらえると良いかなと思います。

 
 

他に小学生の記録としては、ファミコン発売、ドラクエ1・2・3、ビックリマンチョコ、キンケシ、飼育係、初めて買ったCDは「ウィザードリィ Ⅱ・リルガミンの遺産」のサントラ、中学受験、塾通い、などなど。時代を感じますね。

 

 


 

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