順番が回ってきました、星です。
すっかり冬真っ只中ですね、街には年末の気配が漂い始めてます。
今日は卒業制作を進める中で最近気付いたことがあったので、メモとして残しておきたいと思います。
どういうことに気づいたかというと、自分の写す写真にはつくずく「空」を写した作品が多いということでした。
僕は幼少の頃から空が好きでした。紙飛行機を折って休み時間に校庭で飛ばしたり、プラネタリウムの解説員に憧れたり、今でこそ「夜間飛行」という楽曲を作ったりしています。
取り組んでいる卒業制作でも、全体の構成を精査するために床に作品を広げた時、複数枚空が写る写真を無意識に選んでいました。
着想を空から得たり、考えたり、感慨されたりする訳を、自分なりにまとめておきたいと思います。
思えば、空というものはいつの時代も変わらないということに気づきました。マンモスがまだ生きていた時代も、武士が刀を振りかざしていた時代も、今も、目まぐるしく変わっていく風景の中で、いつでもそこにあります。白亜紀の空も、戦国時代の空も、もし見ることができたとしても今と何も変わらなくて、不思議な気持ちになるのかもしれません。
人だって、時代だって、自分だって、変わりたくなくとも変わっていってしまいます。
それに今年は、感染症の流行により日常は大きく変わることとなりました。
だからこそ、時代と僕らは今、”変わらないもの”を探しあぐねているように思います。
芸能人の不倫スキャンダルに寄ってたかって石を投げつける構図も、行きすぎた批判と炎上も、変わらないと思っていたことが変わってしまったことに対して、きっと許すことができないのだと感じます。
いつかなくなってしまうから、いつか死んでしまうから、こんな時代だから、変わり続けることのない”永遠”を探しているのかもしれません。
それに、”社会的地位とか、経済格差とか、男女、年齢、人種、主義主張など、そういったものの違いに関係なく、空というものが、あるいはもっと大きな地球とか宇宙が存在していて、そこから見ると人間の諸々の違いは、些細なことか、ほとんど無いに等しいのではないか” というように、空は誰もに等しく存在しています。アメリカ人の写真家、アルフレッド・スティーグリッツの「Equivalent」という作品の中での言葉です。
だからこそ、空を見つめてしまうのかもしれません。
僕は、”永遠”という言葉を信じてはいませんが、どこかで、恋い焦がれています。