5分ブログです。
SNS的なものはどうも同じ栄光盛衰の道=ライフサイクルを辿るような気がします。mixi、Twitter、Facebook、Instagramなどなど。さらに新しいものも生まれてますね。古くは2ちゃんねるからかもしれない。SNSというより、SNS的なもの、ということについて考えてみます。
最初はなんだコレ?と様子見。新しい物好きな人たちが使い始める。そうして周囲に「やってるよ」という人たちがチラホラ現れる。そうするとコミュニケーションのために自分もやってみる。だんだんと使い方を理解しはじめる。楽しくなってくる。日常的な連絡手段として機能し始める。自分の近況や気持ちを書くことも抵抗がなくなってくる。気が付けば自分の心の内を吐露する場所となる。それに慣れてくると吐露しすぎるようになる。
心の吐露、というところまでいくとどうやらSNSは終活に入っているという感じなのかもしれない。心の吐露というのは、どうもポジティブなことよりもネガティブなことを発信しがち。嬉しいことを一緒に喜んでもらうよりも、辛いことや悲しいことや怒りの感情に同感してもらうことの方が自分が癒やされるからだと思う。
ポジティブなことは発生している時点でもう自分はハッピーなのだ。完結している。ネガティブなことはどうにかして感情を解消したい。一人で解消するのは割と難しい。だから心の吐露となるとどうしてもネガティブな感情を発信することになる。
SNSでの心の吐露ってのは実はとても難易度が高いと思う。SNSは自分だけしか見ない日記帳ではなく、多くの人に閲覧してもらうことで成立するものだから。お互いがお互いを閲覧することでその「場」が成り立っている。
心の吐露が難しいのは閲覧する人たちにが様々だから。ポジティブなことはまだハードルは低い。良かったね〜。という感想で済む。ネガティブなことについてはどういう感想を持ったら良いのかが難しい。それは大変でしたねと同情すべきなのか。一緒に怒るべきなのか。投稿した方に寄り添ってあげたいとは思うけど、どういう寄り添いをするのかはとても難しい。
リアルの世界でも同じだと思うのです。凄い喜んでいる人に対しては、そんなに嬉しそうにしていったい何があったんですか?と聞いて一緒に陽気なムードになれば良いですよね。
何か凄く落ち込んでいる人、悲しんでいる人がいたら、まずどうやって声をかければ良いのかすごく慎重に考えますよね。なんとかして声をかけたとしても、返ってきた内容が凄く深刻だったり理解を超えた怒りが元凶にあったりしたら、これもまた慎重に発言を選びますよね。
SNSでもこれは全く同じだよなぁと思うのです。
若者のTwitter離れ、Facebook離れ、みたいな形で時代時代で「若者の○○離れ」という言葉がニュースになります。さらには「○○はおじさんおばさんしか居ない場所になった」みたいな表現もされたりします。これも時代時代で巡ってくるルーティンのような表現です。
SNSに投稿する難易度が高くなってしまうと、この表現がニュースに登場するんだと思います。多くの人がSNSを活用するようになると、たくさんの心の吐露が投稿されるようになる。それに対する寄り添い方、反応の仕方がとても難しくなる。だから疲れてしまって、SNSを離れる。
新しい場所を探すのが得意な若者から率先して離れていくと、非若者的な投稿の比率が増えていきます。そうするとさらに心の吐露が多い場所になります。年齢を重ねた人ほど抱えているものが大きいし多いので、心の吐露もしたくなるのです。
SNSが最後はおじさんおばさんの場所になるというのは、世間的には否定的なこととして捉えられていると思います。
これは裏を返すと、感情に対して慎重にじっくり対応できる人たちが残っていくということかもしれません。心の吐露に対しての寄り添い方はある程度年を重ねた人の方が上手いし、できるからです。自分自身もたくさんの経験、苦労などを重ねてきた人は寄り添い方も分かっているというわけです。
悲しい体験を多くした人ほど、他者に優しくなれる。そんな歌もあります。海援隊の「贈る言葉」ですね。
SNS、というかコミュニティ全般において、ほとんど全てのモノで同じルートを辿るのはこういうことなんだろうと思います。「○○の若者離れ」というのは、言い方を変えると「○○の熟練者残り」もしくは「○○の円熟者残り」とも言えます。
SNSと人間は、土地と遊牧民みたいなものかもしれません。遊牧民は移動しながら生活します。ある場所に行き、少し暮らしたらまた移動する。この繰り返しです。基本、その土地に根を下ろすような暮らし方はしない。だから農業とかはしません。狩りと採集です。
でも時々、その場所に残って農耕をすることを決める人たちもいそうな気がします。僕たちはこの土地が気に入ったからここに根を張るよ。というような人たち。そこにテントではなくしっかりした家を建て、農耕を始める。そんな人たち。
さて。土地に残る人、と聞いてたぶんこれを読んでくれている方の脳内には、円熟味を持った経験豊富な大人たちの姿が浮かんでるんじゃないかなと思います。
SNSというのもきっとそういうことなんだろうと思うのです。
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