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ヴァイオレット・エヴァーガーデン 記録と記憶 その3

投稿者:斎藤滋
投稿日時:2020年5月7日

その2からの続き

 

「歌」で行く。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンの30秒CMを作るにあたり、提示されたお題は「劇伴」ではなく「歌」だった。

 

歌なんだ。

劇伴ではなく、歌。

今後ヴァイオレット・エヴァーガーデンがこの先広く展開していくだろう。そうすると、ここで作る音楽が礎となる。その後どんな展開をしても、どんな仕掛けをしても「ここから始まった」と称される音楽は今回作る音楽だ。

 

それが歌。

歌ということは当然だが歌詞があり、そして歌う人が存在する。

劇伴よりも圧倒的にイメージが固定化する。

 

なんとやりがいのあるテーマだろう。

 

同時に、歌詞も歌手も慎重に決めなければならない。

何年も、きっと何十年も愛されていく作品になるはず。そして世界中で愛されるはず。そういう未来も一緒に背負ってくれる歌詞と歌手でなければならない。

 

石立さんからは、斎藤が考えるヴァイオレットの世界観で(音楽を)表現してもらって構いません、と言われた。

石立さんの頭の中で鳴っている音楽のイメージも色々聞かせてもらった。でも、最後は斎藤が良いと思うものを提供してくださいと。

 

ヴァイオレットを歌で表現する使命。

 
 

僕からは

・世界に打って出ることが出来るような音楽にしたい。

・ヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界観に沿った大きな曲を。

・歌詞はヴァイオレットの純真無垢さを表現したい。

・・・ということを伝えた。

 

石立さんはどんな30秒の映像にしようと考えているかを話してくれた。

その打合せの時はいくつかのパターンを考えている状態だった。いずれにして芯として決めていることは「ヴァイオレットという人を推す」、「色々なヴァイオレット像を見せる」ということだった。

 

ヴァイオレットを表現する歌というのはどんなモノが良いのだろう。

今回の映像は「原作文庫小説 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の全体を表現するものになる。そう考えると、とある話数、とある時点での限定的な表現ではない。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」全体を表現するべきものだ。

 

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」全体を表現するというのはどういうことだろうか。小説をすでにその時点で何度も読んでいた。理解度は深くなっていた。何が素敵でどこで感動して、なぜ心が動くのかを自分なりに分析していた。だから、石立さんが言ってくれたように、僕が思うヴァイオレット・エヴァーガーデンを素直に形にするのが良いのだろうと思った。

 

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に大きく感動する根本は何だろうかと考えてみると、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという少女の魅力に行き着く。ストーリーや文体などももちろん素晴らしいが、あの素晴らしい心を持った少女の存在そのものが魅力を発している。その少女が何を思い、何を考え、どう動き、どう人に作用していくのかを見守る。ここが根本の要素だと思った。

 

となると、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の物語というよりは、「ヴァイオレット」というその人そのものを歌で表現するのが良いだろうと思い至った。

 

ヴァイオレットという人間はどんな人間なのか?

それを分析してみると答えに行き着くはずだ。

 

あれこれ考えてみて、自分なりにまとめてみた。

 
 

1)母親が赤ん坊を見守るような慈愛に満ちたイメージ

2)放っておいたら死んでしまうような危うさ

3)健気、純白、純真無垢な少女

4)歌謡曲的ではなく洋楽的なイメージで

 
 

1)母親が赤ん坊を見守るような慈愛に満ちたイメージ

これは母親は読者であり、赤ん坊はヴァイオレットだ。

僕は小説を読んでいる最中、思えば親の目線でヴァイオレットを見ていた。次の仕事はどうやって達成するんだろう。このトラブルはきちんと乗り越えられるだろうか。元気にやっているだろうか。おなかは減らしてないだろうか。幸せなのだろうか。

これは、親の目線だろう。僕は男性だが、父親というよりも母親の気持ちな気がした。優しく見守りたい。そういう気持ちだ。

 

2)放っておいたら死んでしまうような危うさ

小説のヴァイオレットは常にしっかりしている。強い。強靱な肉体と精神力を持っている。あらゆる依頼を達成する。しかも見事に。

最強感がある。でもなぜだろう。僕は小説を読みながら、危うさを感じていた。何かギリギリのところで踏ん張り続けているような。あとちょっと何か悪いキッカケが発生したら崩れ落ちてしまうのではないか。最強に見えているが、支えが必要なのではないか。応援が必要ではないか。

そう感じるくらいの危うさを常にヴァイオレットには感じている。

 

3)健気、純白、純真無垢な少女

裏も表もない。ただただひたすらにまっすぐ。依頼人の求めていることを理解して手紙にする。言葉の断片からその人が伝えたい本当の想いを汲み取る。時には言葉ではなくて環境や行動から想いを汲み取る。彼女がそこに居て、周囲に作用していくと、最後は「良くなる」。人を良くする力がある。

聖人君子というとちょっと違う気がする。全ての人を救済する救世主。というほど大げさではない。世界を救うわけでもない。彼女はあくまで一人の個人でしかない。人を良くする力があるが、それは非常に限られた小さな範囲でのことだ。日々の生活の中でささやかに、でも確実に彼女は人を良くしていく。地に足が着いているのだ。もしかしたら自分の日常にもこういうことが起こるかもしれない。明日からヴァイオレットのように行動したら自分も周囲の人を良くすることが出来るかもしれない。ヴァイオレットの行動や人への接し方というのは、自分のリアルな生活にも繋がるような気持ちになる。

「人生の啓蒙本」のような授業めいたことではなく、ヴァイオレットはただただ行動しているだけだ。でもそこから学ぶことがたくさんある。

「小説 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を読んでいる時に、何度も思ったのが、「もし自分に子供が出来たとき、どうやったらヴァイオレットのように育つのだろうか」ということだった。そういうことを思ってしまうくらいに、ヴァイオレットという少女に感銘を受ける。

 

4)歌謡曲的ではなく洋楽的なイメージで

これはヴァイオレットという人の分析ではなく、今回作るべき歌のイメージの話だ。小説に描かれている世界はリアルな地球の話ではない。でも文章から想像する世界はヨーロッパ的なものを強く感じる。電気が使われてない時代の話だから、18世紀半ばから19世紀くらいの産業革命の頃のヨーロッパくらいの感じだろうと思った。

そんな世界に似合う音楽は、日本的か西洋的かと言ったらそれは西洋的であるべきであろうと。音楽で言うと洋学的。洋楽と言ってもたくさんある。18世紀半ばから19世紀で、ヨーロッパで、、、。産業革命の時代に実際に人々が聞いていた音楽って、、ベートーヴェンとかワーグナーとか、、ということだろうか。大いに参考にするが、今回作るべき歌としては、クラシック音楽をやるのが正解という訳ではないだろう。

 
 

音楽全体のムードはこういうのが良いだろうと固まった。

次は具体的な「形」を決める。

 

その当時のメモが残っていた。

 

■最初の5~8秒はリズム無し。それ以降リズムイン。終わりまで。

■カット割りしやすいくらいのテンポは欲しいのでバラードではなく、ミドルテンポPOPな感じ。

 
 

歌を作る時には2つのやり方がある。

 

・作家さんを決めて指名で発注する形

・指名にはせず広く声をかけて曲を出し合ってもらい、その中から選ぶという「コンペ」という形

 

僕はコンペをそんなにやらないタイプの制作マンだと思う。

でも今回はコンペが良いと思った。

作るスタッフも含めて、みんなの頭の中の「音楽像」が固まっていないからだ。言葉を交わし合ってなるべくみんなの頭の中の音楽像を統一するように努力はするが、音楽は「音」で聞かない限りは把握出来ない。

音楽は非常に身近にあるのでそれぞれの人生経験によって土壌がまるで違う。共通言語が見つけにくい場合が多い。例えば「カッコイイ曲ってどんなもの?」と聞かれた時にそれぞれの頭の中に鳴る音楽は様々だろう。

ヴァイオレットを表す音楽像も同じだ。みんなの頭の中に鳴っている「ヴァイオレット音楽」はそれぞれ千差万別なのだ。

指名で1曲しか作らなかった場合、それが僕の理想型だったとしても、他のスタッフ的にはそうでもないかもしれない。そしたらまた次の曲を作れば良いとも言えるが、時間がかかりすぎる。鉄は熱いうちに打つべきだし、何よりもスケジュールは無限に存在しない。

だから複数曲を集めるコンペという形が良かった。集めた曲をみんなで聞きあって、それぞれの頭の中で鳴っている音楽がどんなモノかを解析していく。そして意見を統一していく。

 

曲はコンペで集める。決めた。

 

作詞はどうするか。作詞にもコンペという形はありえる。でも作詞については指名でやるべきだと感じていた。なぜなら今回の作詞家に求める条件はかなり限定的だったからだ。求める条件に合致する作詞家が何人も見つかるとは思えなかった。

今回決めていたことがあった。英語歌詞の歌にするということ。だから英語での作詞が出来る方に書いてもらう必要がある。しかも世界中の人が聴いても違和感のない英語の歌詞。なぜなら「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は世界に向けて発信するべきだと思っていたので、その姿勢を音楽でも示す必要があった。

作詞家の条件としてはいくつかあった。発注する我々とのコミュニケーションがしっかり取れること。小説を読んで理解出来ること。ヴァイオレットに対する愛を持てること。そういう条件があるから、理想は日本人でかつ英語も堪能な作詞家。そういう人を探す必要があった。

 

編曲家はどうするか。これは作曲が完了した段階で、その曲のムードに応じて考えることにする。だから初手の段階ではまだ考えない。

 
 

そして、歌手。

誰がこの歌を歌うべきなのか。これは本当に大事な課題だった。

慎重に決めないといけない。

 

歌がうまいのは大前提。それ以外の要素を満たすことが大事だと思った。

 

きっと「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は何年も何十年も語り継がれる名作となる。歌も長く歌い継がれるはず。だから歌手の方は、長く活動してくれる人であって欲しい。1~2年くらいで引退してしまうようだと困ってしまう。

そしてある意味実験的でもある30秒CMから始まるというプロジェクトに同意してくれる人。イレギュラーな取り組みもたくさんするだろうから、それに柔軟に付き合ってくれる人。

しっかりと密なコミュニケーションを取れる人。

この作品をしっかり大事に愛してくれる人。

 

そして歌声が優しさに満ちていること。

 

ヴァイオレットで歌を作るという話になった瞬間から、たぶんこの人しかいないだろうと思っていた。この人なら全てを兼ね備えている。きっと上手くいく。そう思って連絡をしてみた。

 

それが、結城アイラさんだった。





その4へ続く

 

斎藤 滋 プロフィール
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