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ヴァイオレット・エヴァーガーデン 記録と記憶 その2

投稿者:斎藤滋
投稿日時:2020年4月21日

その1からの続き

 

小説という文字だけの世界だった「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を映像の世界にクリエイトする挑戦が始まった。

 

映像。つまりアニメーション。

小説の時点ですでに表紙や挿絵が存在しているので、どういう世界なのかのヒントはある。

 

小説の段階で完全に恋に落ちてしまっているので、期待は膨らむ。

その一方で、自分の中に形作られているヴァイオレット像と映像化されたヴァイオレットが異なっていたら僕はどんな気持ちになるのだろう。ということも考えた。

あまりにも小説のヴァイオレットに惚れ込んでしまっていたがゆえに。

 

でもそう考えたのはほんの一瞬だったし、映像化されたヴァイオレットがどういう表現になるか?ということにひたすら興味があった。信頼すべきスタッフ陣が作る映像なのだ。楽しみである。

 

制作現場からは良い雰囲気が伝わってきた。きっと気合い入っているんだろうと察することが出来た。

 

ヴァイオレットを初めて映像で表現する30秒。もう少し説明すると、これはKAエスマ文庫の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のCMとしての30秒の映像なのだ。小説の世界を30秒の映像で表現する、というものだった。

文庫「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」公式サイトより。ただいま「エバー・アフター」発売中。

 

何も無いところから生み出すというのは本当に尊敬する。0を1にするのは偉大な作業だと思う。まずもって原作者である暁佳奈さんの0→1は偉大だ。宇宙を作ったみたいな話だろう。その宇宙の中において今度は地球を作るみたいな話なのだ。ヴァイオレットの映像を作るというのは。

 
 
 

30秒の映像。

僕は音楽を担当することが決まっていた。

映像は全力の全力で素晴らしい仕事が成されると確信していた。

じゃあ音楽はどうするのだ。全力の全力で臨むのは当然だ。いつだって全力だ。

どういう映像で来るのか、どういう演出で来るのか。それを踏まえて、音楽は映像のために何が出来るのか。

 

音楽はアニメーション演出の最後の砦だといつも思っている。全力の全力の映像を活かすも殺すも音楽次第なのだ。音楽が映像を助けることだってある。

まずは理解をすることだ。そもそもの物語を理解すること。クリエイターがどこを向いているかを理解すること。演出が何を求めているか。そしてキャラクターがどう動いているか。背景の情報量はどうなのか。色彩。撮影。全てのセクションがどこを向いて動いているかを把握する。そして、それらも全てひっくるめて「プロジェクト」がどの方角に向かっているかを理解すること。分からなければ素直に教えてもらうことも大事。そして「察すること」が大事だ。察する精度を高めるには、日々のコミュニケーションやそれまでの人生の経験値の総量が物を言う。

 

そうして得た情報を踏まえて、自分なりの最適解だと思う音楽世界のアイディアを提供すること。ここが音楽プロデューサーの真骨頂だと思う。

最後の砦は陥落してはならないのだ。

 
 

まずは打合せをしようということになった。

どんな映像にしようとしているのか、どんな音楽がイメージなのか。

などなどを話す場。

アニメーションにおいて音楽制作という工程が動くのはプロジェクトによって様々である。プロジェクトの割と後半に入ったところで着手することもあるし、初期段階から着手することもある。ヴァイオレット・エヴァーガーデンの場合は初期段階からだった。

ヴァイオレット愛に溺れている僕は、色々な可能性や想像妄想を伝えようと意気込んだ。ヴァイオレットファンとしての目線と、ビジネス展開の目線の両方で話したい。

ヴァイオレットという人と物語は老若男女に愛されるし、国境を越えて愛される物語だ。だから最初から「世界」を意識してみんなが動くべきだと思っていた。

狭義ではヴァイオレットをどう描くかという話を。広義では「世界」を意識した仕事にしましょう!、という話を。

そう話そうと思った。

 
 

30秒のアニメーションでの映像表現、そしてそれに対する音楽制作というのをこれまでも色々とやってきた。30秒は実に短いようでもあり、長くもあり。シンプルにタイム感だけで言えば、30秒はあっという間だ。

だが、CMしての30秒というのは実に濃い時間なのだ。短いタイム感ゆえに伝えたいことをしっかり凝縮して映像にする必要がある。同時に音楽も映像が伝えたいことをしっかり補足しブーストさせる必要がある。

タイム感が短いからこそ世界が凝縮しているというわけなのだ。

音楽プロデューサーとして、30秒CMの音楽制作は実に面白いものだった。

 
 
 

さて。

音楽プロデューサーという単語を割と多く使っているが、音楽プロデューサーというのは謎の仕事だと思う。そもそもプロデューサーという仕事の定義付けが難しい。プロジェクトや会社によって、プロデューサーの理解は様々だ。指揮官をすることもあれば、割と細かい作業までやることだってある。

様々な形があるが、なんとなく「責任者」だということは分かると思う。責任が取れる立場の人。ということはそれなりの実力や経験値があるということだ。

そこに「音楽」が付いて、音楽プロデューサー。

音楽の責任を取る人、ということになる。

音楽プロデューサーもこれまた色々だ。

作詞作曲や編曲もする音楽プロデューサーもいる。アーティストと一緒にステージに立ってパフォーマンスする音楽プロデューサーもいる。

僕は作詞作曲編曲などの創出が出来ない。だから環境を整えることに注力する。お見合いの仲人のようなものかもしれない。マッチングアプリのアプリのような仕事とも言える。こういう音楽が欲しい!という要望に対して、サウンドの向き不向き、スケジュール、予算、人としての相性、などなど、色々な要素を踏まえて最適な音楽を見いだす。

音楽側にも当然ながらクリエイターがいる。その音楽クリエイターにはその人なりの表現方法や主張がある。プライドだってもちろんある。

映像クリエイターと音楽クリエイター。どちらが主でどちらが従でも無い。映像と音楽はお互いがお互いを尊敬しあって仕事をする。

映像クリエイター、音楽クリエイター双方の希望要望がMAXで合体出来るようにするのが僕の音楽プロデュースのスタイルだ。「環境を作る」「環境を整える」という表現を僕は良く使う。

 
 

少し話が逸れた。

30秒CMというのはクリエイターの気合いの結晶。

僕は過去の30秒CM作りを通じてそのことを良く理解していた。

だから「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で30秒CMを作ると聞いた時に、これはとんでもないことになる。と予感した。ヴァイオレットの世界は緻密だ。その緻密さが熱量の結晶である30秒CMになる。とんでもないカロリーを費やして作ることになるだろう。前代未聞の仕上がりになる予感がする。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」30秒CMの演出は石立太一さんが担当するということだった。

石立さんの名前を聞いていくつかの作品を思い出した。

30秒CMの「星編」、「メガネ編」。そして「境界の彼方」。

 

※星編

 

※メガネ篇

 

※境界の彼方

石立さんが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」30秒CMの演出。これは深い映像になるに違いない。「星編」と「メガネ編」で石立さんのムードは知っていた。そして「境界の彼方」においては、とても密度の高いやりとりもしていた。

 

今回、石立さんはどんな音楽を求めてくるのだろう。過去の30秒CMの記憶も踏まえて、僕は色々な劇伴を想像していた。ヴァイオレットは中世ヨーロッパっぽい世界だから、エレクトリックな楽器は存在しない方が良いだろうな、、とか、、奇抜さではなくて王道な劇伴の方が良いのだろうなとか、、、。

オーケストラはオーケストラでも荘厳過ぎるのはたぶん違うのだろう。ヴァイオレットの純粋さを表すような劇伴が良いのだろう。などなど。

 

劇伴というのはいわゆるBGM、伴奏音楽、背景音楽とも言われたりするもの。劇の伴奏だから「劇伴」(げきばん)というのが劇伴の由来らしい。歌ではない音楽。ちなみに主題歌、エンディングテーマ、挿入歌は、僕は「歌モノ」と称している。

どんな劇伴が良いんだろう、、、

劇伴、劇伴、劇伴、劇伴、、、

どんなオーダーが来てもしっかり受け答え出来るように色々な劇伴を頭の中で鳴らし続ける日々が続いた。

 
 
 

そして打合せ当日。

 

石立さんが欲しい音楽は「歌」だった。

 
 
 

その3に続く

 
 
斎藤 滋 プロフィール
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