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鎌倉殿の13人最終回「報いの時」を観た感想ブログ

投稿者:斎藤滋
投稿日時:2022年12月19日

5分ブログです。

 

昨日、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が最終回を迎えました。最終回のタイトルは「報いの時」。

 

小四郎の死で終わる最終回。政子に救われたとも、殺されたとも解釈できる終わり方。長らく色々な大河ドラマを観てきましたが、大河ドラマで泣いたのは昨日が初めてでした。

 
 

「報いの時」というタイトル。「報い」という言葉。ある行為の結果として身にはね返ってくる事柄が「報い」。善行に対する報い。悪行に対する報い。うーん、深い。鎌倉殿の13人の最終回に存在した「報い」ってのはなんだろうか。

 

努力が報われるという使い方もされる。悪行の報いを受けるという使い方もある。善悪どちらにも使われる「報い」。小四郎は報われたのか、報いを受けたのか。政子の行為は小四郎の努力に対する報いだったのか。もしくは逆なのか。

 

一方で政子は報われたのか、報いを受けたのか。

 

全ての登場人物に対する「報いの時」ということだったのかもしれない。

 

「報」という言葉の深さにしみじみ感じるものがあります。

 
 
 

毎年この時期になると大河ドラマロスになります。今年は特に大きいかもしれないです。最初のころの、田舎の一家族に過ぎなかったころの北条家が思い出されます。上り詰めていくにつれ変わっていく家族の形。登場人物たちが一番幸せだったのはいつなんだろうと考えます。初期のころの田舎の一家族だったころなんだろうか。上り詰めていく最中の時期だろうか。小四郎は八重さんと暮らしていたころだろうか。時政は最後の隠居生活だろうか。政子は頼朝と結婚したころだろうか。

 

鎌倉殿の13人を1年間観てて、幸せってなんだろうなぁと思う機会が増えました。死の間際が幸せなことが人生の幸せなのだろうか。最後は悲惨でも途中に幸せがあればそれは幸せな人生だったと言えるのだろうか。何をもって幸せということになるのだろう。そんなことを考えるようになりました。

 

幸せって何だろうと考えるようにもなりましたし、そこからさらに人って何のために生きているんだろうと毎週考えるようになりました。生きるってどういうことだろう、、なんてことも考えたりしました。

 

歴史を学ぶってのは生きるを学ぶってことだなぁとも分かるようになりました。

 
 

小四郎と政子は上り詰めたけれど、それは幸せな人生だったのだろうか。

 
 

僕自身はどの人物の生き方に共感するんだろう?と毎週考えたりしていました。関係値が悪くなった北条家がまた一堂に会して楽しく食事をしたシーンが忘れられません。第37回「オンベレブンビンバ」です。あのシーンが全話数の中で僕がもっとも幸せを感じた瞬間でした。あのシーンに幸せを感じるということは、たぶん僕は上り詰めるとか権力を得るということよりも、平和な日常を求めているんだろうなぁと自己分析したりもしました。誰かとお話しして、あははと笑う、そんな毎日が欲しくて生きているのかしら。たぶんそうなんだろうなぁと納得しています。

 
 

そんなことを考えるときに頭に流れる音楽は「君がため」という曲。鎌倉殿の13人の劇伴の1つです。短い曲ですが、染みます。Evan Callが作った鎌倉殿の13人の音楽。最高でした。ありがとうEvan。Evanが音楽作っているんだ!と思いながら毎週観てました。これはたぶん僕だけが持てる特権かもしれない。Evanが日本に来たころから長らく一緒に仕事をしているので親戚のような弟のような友人です。その友人の作る最高の音楽を聴きながら最高の大河ドラマを毎週観られるなんて。これもまた幸せです。

 
 

最終回の記憶を持ちながら、また第1話から見直したい。でもなかなかそんな時間は作れない。36時間かかるのだ。

 
 

全く文章がまとまってない。それだけ色々な感情が今あるのです。しみじみ。

 
 

最終回後のこのしみじみと色々なことに想いを馳せるのまた大河ドラマの醍醐味だったりします。こんな大きなロスはなかなか味わえない。たっぷり味わおうと思っております。

 

 


 

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